【葬祭燻】~故人に学ぶのは時間の有限性~
去る木曜は叔母の葬儀でした。
生前はとても可愛がってもらったのに、こちらからのお返しもあまり出来ないままに旅立たれてしまいました。
いつもそうですね。いつかは…と思っているとそれは突然に訪れます。
事身内の事となるとついつい後回しにしがちですが、今日出来る事や伝えられることは「今な~⤵」って思っても今日した方が良いんでしょうね。
勿論、仕事や運動・勉強も同じでそのうちと思っていると、結局できないまま時間だけが流れていきます。
特にワシの様に要領が悪く、脳のキャパシティも少ないタイプは毎日少しづつでも前に進まないと、周りの人との知識や知恵のギャップはどんどん大きくなっていきます。
※只でさえ社会不適合者なのに、個で生きる術が無かったり自身の感情をコントロール出来無かったら本当に死んじゃいますがな。
ってことで今日も今日とて学びと分析、反省と対策の時間を持ちまっす。
まぁそれはともあれ冠婚葬祭の際には、毎回ご祝儀・香典の表書きや裏書で戸惑います。
特に香典の場合は宗教によって「御霊前」や「御仏前」のタイミングが違ったりしますので何度も確認したり(汗)
ご存知の通り一般的な仏式の葬儀では、亡くなった方は7日毎に極楽浄土、つまりあの世ですな。そこに行くための関所みたいののがあって少しづつ近づき、これを7回繰り返すことで49日をかけてあの世に到達しそこで初めて「仏様」になるのだそう。
だから四九日の法要明けまでは「御仏前」、明けたらもう仏様なので「御仏前」ということっすね。
しかし、同じ和式の葬祭でも浄土真宗では「往生即成仏」という亡くなったら即仏様になられる…と言った考えから、お通夜や葬儀当日でも「御仏前」の書き方をするとの事。
今後更にグローバル化が進めば更に複雑になるんでしょうね。
それに宗教以外でも本人よりもご家族の意向が優先されがちな葬儀とかは、トランスジェンダー等の場合だと色々大変なこともありそう。
とにかく昔ながらのルールや作法の常識がいつまでも続く訳ではないっつう事だと思うのですが、時代も令和となり技術や意識の正に転換期と言える現在はある意味混沌(カオス)。
時代に流されるのではなく、時流に乗って納得して生き、心残りなく逝きたいものです。
もしかしたら、誰かが亡くなってしまう事を「虹の橋を渡る」と言いますが、今後は虹のように数多の可能性を自分らしく選択して進みなさい。という故人からのメッセージも含まれるのかもしれませんね。