薫りと煙の向こうに見えるニライカナイ〜お手抜き燻製修行〜

カウンセラーならぬ燻セラーとして週末毎に試行錯誤を重ねております。

【時空薫】〜失うのは歴史か尊厳か?〜

不意の足止め

所用で人と待ち合わせ。こんな事でもないと中々足を運ぶ機会のない南城市糸数部落・・・ごめんなさい(汗)

 

南部は平和記念公園や旧海軍司令壕にも見られる通り。沖縄戦では一般人も多く巻き添えになった激戦著しい場所。

 

でも県民の我々でさえ愛を運ぶことは稀。っつか殆どの県人が行楽で平和記念公園に行くぐらいかも。

 

なもんだからワシもこのガマの事は知らなかった。

糸数アブチラガマ
http://abuchiragama.com

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写真はその入り口付近にある旧日本軍の大砲。
平成になってから地中から掘り越されたようです。

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それと魚雷。

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学外学習かな?県内か県外かは知らないけど、生徒さんと引率と思しき数名の大人が見学に訪れていた。

 

あ、「ガマ」ってのは沖縄の方言で「洞窟」のことを指します。
因みに南城市にあるココは「アブチラガマ」と言うそうで、崖のように縦に空いた洞穴のことを言うらしい。

 

足を運んだこの日は中に入る事はできませんでしたが、紹介サイトを見るとその名の通り細長く急勾配のガマである事がわかります。

 

ガマの入り口もやたら小さかったっけ。

 

ガマの全長は270mに及ぶものの、幅は本当に狭く部分的に多少開けたところはあるものの、その殆どはわずか数m、場所によっては人一人通るのもやっとのエリアも多くあるみたい。

 

戦時中はそんな所に負傷兵やその人たちを診る看護婦やひめゆり学徒隊、その人数600人以上がろくな灯りもなく居たと考えるとそれだけで胸が痛み、息苦しくなります。

 

時代も令和になり戦時中のことを当事者として伝える語り部も僅かとなった今、こういった場所はますます重要になるのではないかな〜。

 

過去の事から学ぶ事は多い。

 

でも私たちは往々にして失ってからしかその重要性に気が付かないのです。

 

首里城しかり。

 

目の前の教訓に目を閉じないでいたい!

今回火災で失ってこれだけ話題に上がり多くの人が重要性や気象性に気づいたけれども、その多くは首里城に行った事が無いのではないか?
そしてこう思っているはず。「もっと早く行っとけば良かった」・・・と。

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ガマのように戦争というネガティブな歴史を伝えるものも、無くなってしまえば戦争の悲惨さを体感として伝えられず、喉元過ぎればなんとやらでまた同じことを繰り返す羽目になるかもしれない。

 

沖縄だからこそ内外に向けて必要な情報を伝えられる、学べるこのような施設をずっと維持していきたいという想いから今回は微力ながら記事にして誰かに伝わることを期待してみた。

 

私も後日改めてガマに足を踏み入れたいと思います。